GREETING

年を迎えて、芝山みよかを改めて想う。


提供元:新美容出版

「世の中をよく見て、己を加えて人に与える」

本年7月に創業年を迎えられますのは、ひとえに皆さまのご愛顧ご支援のお陰と、代表取締役 小守谷えみよ以下社員一同、心より感謝申し上げます。

まずは、1895年(明治28年)に開業した創業者の芝山兼太郎の娘であり、戦前戦後と美容の発展に尽くした芝山みよかについて語らせて頂きます。みよかの思想は、「株式会社芝山みよか美容室」の美意識そのものだからです。生前芝山みよかは、「美容家ーびようか」に由来したビジネスネームなのですか?とよく聞かれていました。そんな勘違いが起こるほど、芝山の人生は、日本の美容の歴史そのもので、女性の美を追求する旅でもありました。ところで「みよか」という文字は、戸籍上は漢字で「見興加」と書き、「世の中をよく見て、己を加えて人に与える人になって欲しい。」という初代の芝山兼太郎の思いが込められています。まさしくみよかは、その名とおり実践してきた女性だと私は思います。

代表取締役 小守谷 枝三代
代表取締役 小守谷 えみよ

焼け野原の中で、女性の美しさの復興をめざして。

戦前のモダンガールの時代から、銀座松坂屋を拠点にみよかは、父の兼太郎と一緒に美容の普及に努めて参りました。戦後になって、終戦翌年には、「シバヤマ美容室」松坂屋上野店をオープン。さらに「銀座美容科」と立て続けに評判を呼びますが、彼女の向上心はさらに上を目指します。海外渡航の困難を極めた占領下の日本で、美容研究のためフランスへ留学することを決心するのです。マッカーサー最高司令官に直談判をしてまでも、VISAを獲得したことは、彼女のただならぬ覚悟の証明でした。

パリに到着した彼女は、迷わず「ヘレナ・ルビンスタイン」の門を叩きます。弟子を断られても、「私は、世界でも最高水準と言われる美容技術を学ぶために、万難を配してパリに来たのです。どうしても先生の教えを受けたいのです。」と必死にお願いをして、特別措置で指導を許されたそうです。彼女の瞳の奥には、瓦礫の中で懸命に働く日本女性の姿があったのだと思います。当時を振り返って、みよかはこう語っています。「敗戦の混乱の中でも、女性たちはとてもたくましく、髪を綺麗に整えて、前向きに生活を立て直そうとしてきたのです。どのような時代も、女性たちが新しいものを求める気持ち、美しくありたいという気持ちはかわりませんから」

パリの空の下、「己を加えて人に与える」大切さを知る。

さらにみよかは、パリでピカソと巡り会い、衝撃的な言葉をいただきます。それは、日本の画家が描いた蘭をモチーフにした風呂敷をピカソに見せたとき、「風呂敷は素晴らしいが、なぜ自分の国の花を描かないのか」という言葉でした。おけげでみよかは、「日本らしい美しさは何か」を考え始めます。西洋のモノマネを人に与えるだけでなく己(日本)を加えることに気づいたのですね。

シバヤマの思想は、初代がつけたみよかの名前通りだと私は思っています。女性の美しさに貢献するという姿勢は120年たっても揺るぎませんが、「世の中をよく見て、己を加えて人に与える」ことこそが、脈々と受け継がれるシバヤマイズムです。

「美容という仕事は、世の中に幸せや平和をもたらす仕事だと思います」芝山みよか

生前、インタビューで芝山みよかが語った、美容の現場へ働く後輩たちへのメッセージをお伝えします。

「一生勉強です。まず、手の技術を正しく伝えること。医学方面の勉強や美容以外の美術や、美しいものをたくさん見ることも役に立ちますよ。ヨーロッパやアメリカから新しい技術を学ぶことも必要ですが、ただモノマネばかりをしているのはどうかと思います。日本人らしい、その人らしい美しさを大切になさって下さい。幅広く勉強し、つねに好奇心とチャレンジ精神を持って、日本人にあったスタイル、技術を研究し、自分の施術方法を確立してほしいと思います。美容は人を美しくする仕事です。人を美しくすることは容姿だけでなく、人の心の中まで綺麗にし、人を幸せにしてさしあげることでしょう?人は幸せになれば、心の中にやすらぎが生まれ、平和になります。美容という仕事は、世の中に幸せや平和をもたらす仕事だと思います。」