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1895年、日本で最初の“美容室”が誕生 Brand Story

シバヤマ美容室の歩んだ歴史は、
そのまま日本の美容の歴史です。

日本の女性の美しさとともに127年の時を重ねて

第一章 1895年 〜 1944年

日本で最初の“美容室”、
シバヤマ美容室のはじまり

明治28年

1895

「日の出軒」開業

横浜山下町105番に
初代芝山兼太郎が「日の出軒」を開業。
隆盛を極め、客が押し寄せる。

明治30年

1897

「パレス・トイレット・サロン」開業

オリエンタルホテル前の山下町31番に、外国婦人専門サロン「パレス・トイレット・サロン」を開業。
「美容室」の始まりだと言われている。

1905年 (明治38年): 米国医学教授Dr. W・キャンブルー氏に、マッサージ血行療法を元にした施術を伝授される。
1923年 (大正12年): 関東大震災。店は焼けるが、横浜市中区に「芝山美容院」をすぐさま営業開始する。

大正14年

1925

「芝山美容学校」を設立

横浜市鶴見区に「芝山美容学校」を設立。

1926年 (大正15年): みよか「フェリス和英女学校」を卒業。父兼太郎の美容技術講習会に同行。松坂屋上野店も任される。
1929年 (昭和8年): みよか、文筆家の小守谷達夫と結婚。
兼太郎、自宅で逝去。
1940年 (昭和15年): 「7.7禁令」が発令され、パーマネントが敵視される。鉄製品の提出を求められ機械も失うが、木炭パーマなどで美容院は継続する。
1941年 (昭和16年): 真珠湾攻撃で太平洋戦争に突入。結婚式を挙げて戦地に赴く兵隊も多く、「戦時下だからこそ女性を美しく」と東奔西走する。

昭和19年

1944

「企業整備令」で、ついに美容室を閉鎖

第二章 1945年 〜 1961年

戦争の苦難を乗り越えて美容室を再開。
美容を極めるため、フランス・アメリカへ

1945年 (昭和20年): 終戦。疎開先から戻ったみよかは、直ちに松坂屋店支配人に美容室の再開を願い出るが、「売るものさえないのに、美容室の再開は無理でしょう」と断られる。

昭和20年

1945

「シバヤマ美容室」を再開

松坂屋上野店にて「シバヤマ美容室」を再開。「食べ物はなくても、せめて髪ぐらいは綺麗にしたい」と願う女性たちがつめかける。

1947年 (昭和22年): 戦火のストレスによる肌のダメージを解消するため皮膚科を併設。
当時、画期的な発想だった。

昭和24年

1949

「銀座皮膚科」を開設

昭和26年

1951

みよか、
フランスへ渡航

GHQとの8ヶ月に渡る交渉の末、フランスへ渡航。
「ヘレナルビンスタイン」の門を叩く。みよか44歳の初留学だった。

昭和27年

1952

「サロン・ド・ボーテ」を開設

美容研究ため、アメリカとパリへ。フェルナンド・オーブリー氏にメイクアップを学ぶ。
松坂屋銀座店に「サロン・ド・ボーテ」を開設。本格的エステティックサロンを誕生させる。

1957年 (昭和32年): 「美協組日本ヘアデザイン協会」(NHDK)の設立に、チャーターメンバーとして参画。

昭和36年

1961

再度、
アメリカとパリへ

美容研究ため、再度アメリカとパリへ。
ジャン・デストレ氏にメイクアップを学ぶ。実力と功績が認められて、故高松宮妃殿下、常陸妃殿下の美容係を拝命する。
夫である小守谷達夫、突然の逝去。

第三章 1963年 〜 2022年

創業127周年を迎え、
改めて美容の原点に立ち返る

1963年 (昭和38年): NHDK理事長に就任。

昭和44年

1969

「コワフュール・
シバヤマ」オープン

息子小守谷巽が尽力して、青山に日本初の
ユニセックスサロン「コワフュール・シバヤマ」
をオープン。

1970年 (昭和45年): CMやファッションショーなども手がけるようになり、「タレント部門」を設立。
1971年 (昭和46年): 「第24回シデスコ国際会議アムステルダム大会」に個人参加。
NHDK名誉理事長に就任。

昭和47年

1972

「クラブカット・シバヤマ」オープン

ユニセックスのカット専門「クラブカット・シバヤマ」を神宮前にオープン。「日本エステシャン協会CIDESCO JAPAN」設立。初代会長になる。

1975年 (昭和50年): 「職業訓練法人全日本婚礼美容協会」設立。副会長に就任。
1980年 (昭和55年): 「国際会議CIDESCO賞」受賞。
1992年 (平成4年): 「財団法人エステティック研究財団」名誉顧問に就任。
「東京都優秀技能賞」授与。 CIDESCO本部より「名誉会長賞」授与。
1999年 (平成11年): 「職業訓練法人全日本婚礼美容家協会」名誉副会長に就任。
2009年 (平成21年): 小守谷えみよ、代表取締役社長に就任。芝山みよか、家族に見守られながら、
享年101歳で永眠。

平成27年

2015

「Shibayama hearts」シバヤマハーツオープン

創業120周年を迎え、美容室でトータルの美をご提供するという原点に立ち返り、さらにクロスメニュー(同時施術)という新しいコンセプトのもと「Shibayama hearts(シバヤマハーツ)」を松坂屋豊田店にオープン。

平成30年

2018

「MAISON 1895 」オープン

ホテルアソシア静岡の地下1階250坪の空間に「ビューティー」「ウェルネス」「ライフスタイル」「アート」「カルチャー」をテーマとした総合サロンをオープン。ヘアスタイリストやエステティシャンのみならず、美容鍼灸師、ヨガ講師、バレエ講師、占星術師等多岐にわたる分野のスペシャリストがサービスを提供。

令和4年

2022

「MAISON 1895 F」
「MAISON 1895 F annex」
オープン

コロナ収束後の社会における新しいヘアサロンの在り方を提案する為、東京 門前仲町に小規模の複合サロン「MAISON 1895 F」を展開。

創業127年を迎える。

Greeting

127年を迎えて、芝山みよかを改めて想う。

「世の中をよく見て、己を加えて人に与える」

本年7月に創業127年を迎えられますのは、
ひとえに皆さまのご愛顧ご支援のお陰と、
代表取締役 小守谷えみよ以下社員一同、
心より感謝申し上げます。

代表取締役 小守谷 えみよ

まずは、1895年(明治28年)に開業した創業者の芝山兼太郎の娘であり、戦前戦後と美容の発展に尽くした芝山みよかについて語らせて頂きます。みよかの思想は、「株式会社芝山みよか美容室」の美意識そのものだからです。生前芝山みよかは、「美容家ーびようか」に由来したビジネスネームなのですか?とよく聞かれていました。そんな勘違いが起こるほど、芝山の人生は、日本の美容の歴史そのもので、女性の美を追求する旅でもありました。ところで「みよか」という文字は、戸籍上は漢字で「見興加」と書き、「世の中をよく見て、己を加えて人に与える人になって欲しい。」という初代の芝山兼太郎の思いが込められています。まさしくみよかは、その名とおり実践してきた女性だと私は思います。

Profile

芝山 みよかMiyoka Shibayama

Profile

芝山 みよかMiyoka Shibayama

日本で初めて美容室を開業し、長年にわたる東京都の美容室の経営などで、美顔術やエステティックの普及に努めた。「エステの母」とも呼ばれ、日本美容界の草分け的存在ともいわれる。日本エステティック協会(旧名は日本エステシャン協会)の初代会長。

焼け野原の中で、
女性の美しさの復興をめざして。

戦前のモダンガールの時代から、銀座松坂屋を拠点にみよかは、父の兼太郎と一緒に美容の普及に努めて参りました。戦後になって、終戦翌年には、「シバヤマ美容室」松坂屋上野店をオープン。さらに「銀座美容科」と立て続けに評判を呼びますが、彼女の向上心はさらに上を目指します。海外渡航の困難を極めた占領下の日本で、美容研究のためフランスへ留学することを決心するのです。マッカーサー最高司令官に直談判をしてまでも、VISAを獲得したことは、彼女のただならぬ覚悟の証明でした。
パリに到着した彼女は、迷わず「ヘレナ・ルビンスタイン」の門を叩きます。弟子を断られても、「私は、世界でも最高水準と言われる美容技術を学ぶために、万難を配してパリに来たのです。どうしても先生の教えを受けたいのです。」と必死にお願いをして、特別措置で指導を許されたそうです。彼女の瞳の奥には、瓦礫の中で懸命に働く日本女性の姿があったのだと思います。当時を振り返って、みよかはこう語っています。「敗戦の混乱の中でも、女性たちはとてもたくましく、髪を綺麗に整えて、前向きに生活を立て直そうとしてきたのです。どのような時代も、女性たちが新しいものを求める気持ち、美しくありたいという気持ちはかわりませんから」

パリの空の下、
「己を加えて人に与える」大切さを知る。

さらにみよかは、パリでピカソと巡り会い、衝撃的な言葉をいただきます。それは、日本の画家が描いた蘭をモチーフにした風呂敷をピカソに見せたとき、「風呂敷は素晴らしいが、なぜ自分の国の花を描かないのか」という言葉でした。おけげでみよかは、「日本らしい美しさは何か」を考え始めます。西洋のモノマネを人に与えるだけでなく己(日本)を加えることに気づいたのですね。

シバヤマの思想は、初代がつけたみよかの名前通りだと私は思っています。女性の美しさに貢献するという姿勢は120年たっても揺るぎませんが、「世の中をよく見て、己を加えて人に与える」ことこそが、脈々と受け継がれるシバヤマイズムです。

「美容という仕事は、世の中に幸せや
平和をもたらす仕事だと思います」

生前、インタビューで芝山みよかが語った、美容の現場へ働く後輩たちへのメッセージをお伝えします。
「一生勉強です。まず、手の技術を正しく伝えること。医学方面の勉強や美容以外の美術や、美しいものをたくさん見ることも役に立ちますよ。ヨーロッパやアメリカから新しい技術を学ぶことも必要ですが、ただモノマネばかりをしているのはどうかと思います。日本人らしい、その人らしい美しさを大切になさって下さい。幅広く勉強し、つねに好奇心とチャレンジ精神を持って、日本人にあったスタイル、技術を研究し、自分の施術方法を確立してほしいと思います。美容は人を美しくする仕事です。
人を美しくすることは容姿だけでなく、人の心の中まで綺麗にし、人を幸せにしてさしあげることでしょう?人は幸せになれば、心の中にやすらぎが生まれ、平和になります。美容という仕事は、世の中に幸せや平和をもたらす仕事だと思います。」

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