BRAND STORY

シバヤマ美容室の歴史

シバヤマ美容室の歩んだ歴史は、そのまま、日本の美容の歴史です。

1895年 (明治28年)
横浜山下町105番に初代芝山兼太郎が「日の出軒」を開業。隆盛を極め、客が押し寄せる。
1897年 (明治30年)
オリエンタルホテル前の山下町31番に、外国婦人専門サロン「パレス・トイレット・サロン」を開業。「美容室」の始まりだと言われている。
1905年 (明治38年)
米国医学教授Dr. W・キャンブルー氏に、マッサージ血行療法を元にした施術を伝授される。
1923年 (大正12年)
関東大震災。店は焼けるが、横浜市中区に「芝山美容院」をすぐさま営業開始する。
1925年 (大正14年)
横浜市鶴見区に「芝山美容学校」を設立。
1926年 (大正15年)
みよか「フェリス和英女学校」を卒業。
父兼太郎の美容技術講習会に同行。
松坂屋上野店も任される。
1929年 (昭和8年)
みよか、文筆家の小守谷達夫と結婚。
兼太郎、自宅で逝去。
1940年 (昭和15年)
「7.7禁令」が発令され、パーマネントが敵視される。鉄製品の提出を求められ機械も失うが、木炭パーマなどで美容院は継続する。
1941年 (昭和16年)
真珠湾攻撃で太平洋戦争に突入。結婚式を挙げて戦地に赴く兵隊も多く、「戦時下だからこそ女性を美しく」と東奔西走する。
1944年 (昭和19年)
「企業整備令」で、ついに美容室を閉鎖。
1945年 (昭和20年)
終戦。疎開先から戻ったみよかは、直ちに松坂屋店支配人に美容室の再開を願い出るが、「売るものさえないのに、美容室の再開は無理でしょう」と断られる。
1945年 (昭和21年)
松坂屋上野店にて「シバヤマ美容室」再開。「食べ物はなくても、せめて髪ぐらいは綺麗にしたい」と願う女性たちがつめかける。
1947年 (昭和22年)
戦火のストレスによる肌のダメージを解消するため皮膚科を併設。当時、画期的な発想だった。
1949年 (昭和29年)
「銀座皮膚科」を開設。
1951年 (昭和26年)
GHQとの8ヶ月に渡る交渉の末、フランスへ渡航。「ヘレナルビンスタイン」の門を叩く。みよか44歳の初留学だった。
1952年 (昭和27年)
美容研究ため、アメリカとパリへ。フェルナンド・オーブリー氏にメイクアップを学ぶ。
松坂屋銀座店に「サロン・ド・ボーテ」を開設。本格的エステティックサロンを誕生させる。
1957年 (昭和32年)
「美協組日本ヘアデザイン協会」(NHDK)の設立に、チャーターメンバーとして参画。
1961年 (昭和36年)
美容研究ため、再度アメリカとパリへ。ジャン・デストレ氏にメイクアップを学ぶ。
実力と功績が認められて、故高松宮妃殿下、常陸妃殿下の美容係を拝命する。
夫である小守谷達夫、突然の逝去。
1963年 (昭和38年)
NHDK理事長に就任。
1969年 (昭和44年)
息子巽も尽力して、青山に日本初のユニセックスサロン「コワフュール・シバヤマ」をオープン。
1970年 (昭和45年)
CMやファッションショーなども手がけるようになり、「タレント部門」を設立。
1971年 (昭和46年)
「第24回シデスコ国際会議アムステルダム大会」に個人参加。
NHDK名誉理事長に就任。
1972年 (昭和47年)
ユニセックスのカット専門「クラブカット・シバヤマ」を神宮前にオープン
「日本エステシャン協会CIDESCO JAPAN」設立。初代会長になる。
1975年 (昭和50年)
「職業訓練法人全日本婚礼美容協会」設立。副会長に就任。
1980年 (昭和55年)
「国際会議CIDESCO賞」受賞。
1992年 (平成4年)
「財団法人エステティック研究財団」名誉顧問に就任。
「東京都優秀技能賞」授与。 CIDESCO本部より「名誉会長賞」授与。
1999年 (平成11年)
「職業訓練法人全日本婚礼美容家協会」名誉副会長に就任。
2009年 (平成21年)
小守谷えみよ、代表取締役社長に就任。
芝山みよか、家族に見守られながら、享年101歳で永眠。
2015年 (平成27年)
創業120周年を迎え、美容室でトータルの美をご提供するという原点に立ち返り、さらにクロスメニュー(同時施術)という新しいコンセプトのもと「Shibayama hearts(シバヤマハーツ)」を松坂屋豊田店にオープン。
年 (平成年)
創業年を迎える。